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東京高等裁判所 昭和44年(ラ)951号 決定

抗告人 渡辺茂蔵

主文

原命令を取消す。

理由

抗告代理人の抗告の理由は、別紙記載のとおりである。

職権をもつて検討すると、一件記録によれば、

本訴の被告であるモハメツド・サラ・エルデイン・フアリツドはアラブ連合共和国大使館の外交職員で外交官の身分を有するものであることが明らかであるから、外交関係に関するウイーン条約(昭和三九年六月二六日公布条約第一四号、アラブ連合共和国も同条約の批准国である。)第三一条第一項により、原則として接受国であるわが国の民事裁判権からの免除を享有するものであるが、他方、同条約同条同項には、接受国の領域内にある個人の不動産に関する訴訟(その外交官が使節団の目的のため派遣国に代つて保有する不動産に関する訴訟を含まない。)等、例外として、外交官が接受国の民事裁判権に服する場合が列記されているばかりでなく、右の例外に当らない場合であつても、外交官に対する前記裁判権からの免除は、派遣国においてこれを放棄することができるのである(同条約第三二条一項)。そこで、本訴の受訴裁判所たる原審の裁判官は、本訴状を審査するに際し、本訴が、被告たるモハメツド・サラ・エルデイン・フアリツドにおいて民事裁判権からの免除を享有する場合の例外に当るか否かを調査し、該当するとすれば本訴状を同人に送達すべきことは勿論、該当しない場合であつても、派遣国であるアラブ連合共和国が同人に対するわが国の裁判権を放棄するか否かを確かめることを要するものと解するのが相当である(ちなみに、右放棄の意思の確認手続については、昭和四〇年八月二六日最高裁判所民二第六〇八号事務総長通達参照)。しかるに、記録によれば、原審裁判官は単に本訴の被告が治外法権を享有するものであるとの理由から本訴状の被告に対する送達が不能であると判断し、本訴状を却下したのであつて、右の調査及び確認手続を尽くしたものとは認め難く、既にこの点において原命令には違法がある。

よつて、抗告理由の当否につき審究するまでもなく原命令を取消すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 岡部行男 川上泉 大石忠生)

(別紙)

抗告の理由

一 原命令

抗告人は、昭和四四年八月 日、原裁判所に、相手方を被告として建物明渡請求事件を提起したるところ、同裁判所は、被告は治外法権を享有するものであつて訴状を送達する事が出来ないとの理由で訴状を却下する旨の命令を為し、右命令は昭和四四年九月二九日抗告人代理人に送達された。

二 原命令の不当性

(一) 原命令の正本には、何故に相手方が治外法権を享有するものであるかの理由が記載されていない。しかしながら原裁判所において、相手方が治外法権を享有すると認定されたのは、

(イ) 相手方が国際機関の構成員であるか

(ロ) 相手方が外交使節の随員(館員)である

との理由によるものであると思料される。

しかしながら、右いずれの理由によるも相手方が治外法権を享有するので訴状の送達が不能であるとして為された原命令は不当である以外に詳論する。

(二) 相手方は、日本において在日アラブ連盟代表者(Representative of the Arab League in Japan)であると称し、従つて、自己の国際機関の職員であり治外法権を享有すると称している。しかしながら、アラブ連盟(The Arab League )なる国際機関は、アラブ連合共和国(The United Arab Republic)を含むアラブ諸国が経済交流を目的として構成している私的な国際機関であり、よつて日本国政府は、右連盟を正式な国際機関又は国際団体として承認していない。故に日本国政府が承認していない以上国際法上相手方は国際団体の職員とは言えず、又国際団体の職員として治外法権の享受を認められるものではない。

(三) 更に、若し原裁判所において相手方が外交使節の随行員(館員)であるとの理由により治外法権の享有を認められたものであつたとしても、原命令は不当である。即ち相手方は、在日アラブ連合共和国大使館の館員であることは抗告人も認めるところである。そして、国際法上館員も又外交使節と同等の治外法権の享有を認められる事も又事実である。

しかしながら、外交使節は(従つて外交使節の随員である館員も又)特定の場合には治外法権の享有を認められない。即ち、

イ 使節が原告として訴訟を提起する場合

ロ 使節が被告として任意に応訴する場合

ハ 使節が私人として接受国で不動産を所有し、営業に従事し相続に基づいて財産を取得する場合

ニ 館邸に関する訴訟の場合

がそれである(横田喜三郎、国際法II法律学全集二三丁二三二頁)。従つて右の各場合には国際法上治外法権の問題は起きる余地が無い。

これを本件について考察するに、相手方は抗告人よりアラブ連合大使館の館員として館邸として建物を賃借し、原裁判所においては抗告人は相手方より右建物の返還を求めているわけであるから、抗告人が相手方に対して原裁判所に提起した訴は、正に館邸に関する訴訟であるに外ならない。そして前述の如く、外交使節並びに館員は、国際法上、館邸に関する訴訟については治外法権を享有し得ないのであるから、よつて相手方が治外法権を享有するとの理由により訴状を却下した原裁判所の命令は不当である。

よつて抗告に及んだ次第である。

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